ウィーンへの旅 最終章

10月16日(土)
ホテルそばのBilla スーパーマーケットで、赤唐辛子入りサーディンオリーブオイル漬け缶、ユリウスマインル(ウィーンの有名なグルメコーヒー)、クランベリージャム、粒マスタード、グラインダーつきこしょう(普通の調味料が何気においしかった)、クノールのシュペッツレ、職場のお土産用にモーツアルトの顔が包み紙に印刷されたチョコレート (見かけを欺く美味しさ)– これで26ユーロ。ウィンナーシュニッツェル用の肉や、セルフサービスのオレンジジュース絞り機、少し古くなったにんじんやカブなどの野菜をスープストック用に束ねて売っているのが珍しい。コーヒーの袋に穴が開いていたので30分後に返品したが,高校生くらいのレジのあんちゃんは、レジからわざわざお金を出して,それを戻すというまどろっこしいことをやっていた。
  
オリーブオイルづけのサーディン缶をキャストアイアンのスキレットでオイルごと焼き,軽く両面に焦げ目がついたところで、しょうゆと赤唐辛子,万能ねぎのみじん切りをかけまわして,ごはんにかけるのは,手抜きしたいときのレシピだが,この缶で作ったら、より辛く深みのある味になった。


Strückで朝食。クライナー・ブラウナーと栗クリーム入りパン。シュワルツネッガーをあっさりさせたようなおじさんがコーヒーを飲んでいた。ミュージアムクォーター地下鉄駅構内のディスカウントアート系本屋をのぞく。


ナシュマルクトのフリーマーケットは終わりが見えないほど長い。常設の食料品市場も、ものすごい混雑。ぶどう園のおじいさんがバンを止めて、ワインを売っている。コーラ瓶サイズの白Sturm(1.1ユーロ)を飲みながら,マーケットをひやかす。シュトルムは,今年のブドウがワインになる前の飲み物で,アルコール度が低く、ワインよりは新鮮なぶどうジュースに近い。

ツリーのてっぺんに飾るビンテージのクリスマスオーナメント5ユーロ、1960年代のワイングラス2つ(計4ユーロ)買う。ぶどうの模様が白く入り,持ち手がワインボトルの緑色をしている,ころんとしたこのグラスでグリューナー・ヴェルトリーナーを飲んだらおいしそう。値段交渉は受け付けなかったが,夫の買った25ユーロの本は20ユーロに値引きしてくれた。

古着は量り売り。量で勝負のウィーン人にとっては特にこたえられないかもしれない。探せば何か眠っているのかもしれないが、ビンテージではなく単なる古着の山に見える。市中のアンティーク屋は見るからに高いが,ここではガラクタから日用品,手軽な骨董品が並んでいる。アンティークのボタンやドアノブなど,必要ないがほしくなるものが沢山。

ごついおじいさんとアンティークのドールショップの組み合わせが可愛いので、写真を撮っていたら,おばちゃんが「schön」と感極まり,同意を求めているようだったので,「schön」とオウム返し。ビンテージの紙オルガンの写真を撮ろうとしたら,中東系の英語をしゃべらない男の売り手が手を振るので,ダメという意味と思ったら,写真用にディスプレイしてくれた。

主人が肉を買っている間,行儀よく待っているコッカースパニエル。

マーケット内のチーズ専門店ケーゼランドで,フランスの季節ものMont d'Or(モンドール)チーズを買う。狭い店は、人が立つ以外の空間はすべてチーズで埋められ、今まで経験したことがないほどの濃厚なチーズの匂い。カマンベールが膨らんだような,丸い木箱入りのチーズが気になったので試食。店のおばちゃんは、「手を使うな、食べるそばからとろけるから」と言って、一口分切って紙にのせてくれる。口に入れた瞬間に天国がやってきて,脳と財布が直結し、反射的に「ください」と手を出した。乳脂肪分50%という、アルプスの牛小屋を思わせる濃厚で素朴かつ洗練された味は、ニューヨークに持って帰って食べたら、さらに感慨深かった。


アルベルティーナ美術館前の,一番美味しいと評判のホットドッグスタンドで、ホットドッグとフレンチフライ、グリューナー・ヴェルトリーナー。各スタンドで味が違い,それぞれに美味しいので,毎日でも飽きない。チーズの入ったケーゼクライナーとブラットブルストなど違う種類を食べたら,それだけでおかずが完成する。

スタンドの天井には,白いプラスチック椅子を重ねたオブジェ。


House of Musik(音楽の家)はお子様向け。ここだけでなく,複製や当時の似た楽器などを置いた博物館が多く、本物はどこそこにあると表示されている。美術館はさすがに本物だが。夜のオペラ鑑賞に備えて、ホテルに帰り一休み。


アン・デア・ウィーン劇場でワイル&ブレヒトの「マハゴニー・ソングシュピール」とオペラ「七つの大罪」の2本立てを見る。前者は1927年に初演された両者初のコラボレーションで、1933 年の「七つの大罪」は最後のコラボ。ヒロインの アナ (アンジェリカ・キルヒシュレーガー) の歌と演技は素晴らしい。男性コーラスもCD で聞くよりはるかに美味しい。英語で歌われる「アラバマ・ソング」「ベナーレス・ソング」は、ドイツ語圏で聞くとさらにおかしい。もともとユーモラスな歌なので、前者はユーモアのやや誇張しすぎが気になった。「七つの大罪」のそれぞれの罪は、LAやサンフランシスコなどのアメリカの都市によって表現されるが、資本主義=悪というブレヒト社会主義だけでなく、はいて捨てるほど歴史があるウィーンから歴史の浅いアメリカを見ると実感がわく。休憩なしで、間に飛行機の管制塔メッセージが流されるが、長すぎた。それらのわずかな欠点をのぞけば,セットと照明と衣装、ビデオの使用も含め、シンプルで効果的でモダンな,完璧に近い舞台だった。

「マハゴニー・ソングシュピール」は、オペラ「マハゴニー市の興亡」の前身となる音楽劇なので当然だが、オペラ「七つの大罪」の方が音楽的にもドラマ的にも完成されていた。スクリーンに映される、歌手ではなくヌーベルバーグ女優風のアナの分身を,黒い枠状のセットが分断する。ブレヒトの異化効果か?オーケストラも、変化に富んだ音を難なくこなし、音楽のよさが伝わってくる。他のヨーロッパの国でも、ワイル&ブレヒトの舞台を見比べてみたいものだ。この舞台は、アン・デア・ウィーン劇場と、「七つの大罪」を1933年に初演したパリのシャンゼリゼ劇場が新たに共同制作した。当時をしのばせつつも、否定しがたい現代性を持つ新しい舞台になっていて、生きた美術館のようなウィーン最後の夜にふさわしい作品だった。Auf Wiedersehenウィーン!


ナシュマルクトで,舞台の興奮を語りつつ、グリューナー・ヴェルトリーナーを飲む。有名な老舗のカフェ・シュペールが閉まっていたので、その近くのRed Elephantで夕食。ロゼのシュトルムは,にごりあるルビー色で見た目も味も良し。ほうれん草とトマトのリゾット。ホテルでパッキング。


10月17日(日)
飛行場に着くまで開いている店はスターバックスだけだった。エアポート電車のエレベーターの狭さは馬鹿げている。キャリーオンバッグを持った4人だけできつきつで、30戸の私のアパートのエレベーターより狭い。

飛行場ゲート前のヨハン・シュトラウス・カフェで、ウィーン最後のソーセージ。ベーコン巻きチーズ入りのケーゼクライナー,フレンチフライ、グリューナー・ヴェルトリーナー。やはり美味しい。中年のウェイターは、あっさり目のネイサン・レインのよう。透明なガラス張りの、やはり4人ほど入ったら満員の喫煙ブースがあった。


ウィーンから帰ってきてほぼ一ヶ月たつのに,まだ半分くらいウィーンにいるような気がする。ウィーン訪問記を早速ベートーベン・ブログに書いた夫とは,未だに旅行の話をするし,私はこの文章の前に旅行漫画を書いた(http://thebiggersleep.blogspot.com/)。
夫婦して,いろんな形で長く味わえる旅行になってよかった。二人で撮った写真は3千枚以上で,未だに写真の整理をしている。


もともと歴史好きの私は,街そのものが美術の歴史を表している美術館のような街で,ベートーベンの時代を軸にして,より具体的に過去未来現在について考え,夫と話し合うことができて面白かった。ニューヨークに帰ってからMOMAに行ったが,一週間の旅行中に沢山見たウィーン世紀末絵画は、クリムトとシーレの数枚のみだった。一瞬唖然としたが、すぐに,何て贅沢な旅だったんだろうと思った。美術館で数枚の絵を見ただけでは分からない、それらの作品が生まれた背景に、時間をかけて直接触れることができたからだ。


建築や美術の進化や変化をその場で見られるのは,歴史好きにはたまらない。予習していったかいがあった。しかし,現在のウィーンはどうだろう?たくさんの来客を拒むような群衆整理のまずさや、老舗レストランのウェイトレスの「プライド」、殆どの店は6時で閉まり、日曜は閉店する。もし今よりも便利だったら、歴史の保存度は減っていただろうか?


いろいろ考えていくと,1910年から人口が減っているウィーンと,現在の日本の共通点が浮かび上がってくる。どちらも素晴らしい歴史を持つが,終わっている都市であり(日本の場合は終わりつつある都市か),旅行で訪れるのは楽しく,活気があっても,未来を引っ張っていく力はない。上記のエアポート電車のエレベーターが象徴しているように、未来には閉塞感がある(歴史的建物や芸術の保存など,ウィーンのほうが歴史に誇りを持っているので,その分ましかもしれないが)。前述のツヴァイクの本も、全員が顔見知りで、上が詰まっていて、新しい芸術の実験に寛容でない世紀末ウィーンに比べて、ベルリンは開放感があり、若者が比較的短期間で地位を確立できると書いている。


日本とウィーンは、生活感覚的にも似ているところがあるので,団体の年配日本人観光客が多いのも納得だ。日本が文明開化以来ドイツやオーストリアから学んできたせいもあるだろう。地下鉄は布張りの椅子で,路線ごとに表示から壁やエスカレーターのランプの色まで統一してあるなど,ナイスだが不必要な気配りは日本にも共通する。アメリカにはなくて,ヨーロッパにはある,駅のコインロッカーやトイレの水の大小も,日本と同じ。地下鉄の乗客も白人(ヨーロッパ各国から来ているのかのもしれないが)が殆どで,白黒黄さまざまなNYとは違う。


それでも,住むことを考えなかったら,見損ねた古い建物もあるし,ドイツ語をもう少し勉強して,もっといろんなメニューを食べてみたいし,安くて美味しいワインもコーヒーも懐かしい。超有名店など例外はあるものの,人も犬も優しくて,いい顔を見せてくれた。次は,カフェで外に座れるくらい暖かい時期に,ウィーン3日間ぐらいと他のヨーロッパの都市に行ってみたい。いい意味でも悪い意味でもウイーンは美術館都市であり、その保存は尊敬に値する。