「スパイダーマン」ミュージカル

7500万ドルというブロードウィ史上最高の製作費と、「ライオン・キング」のジュリー・テイモア演出&U2のボノとエッジが音楽担当という豪華な顔合わせにもかかわらず、フライング場面で事故が起きるなど問題続きで上演が危ぶまれ、ここ数年タブロイド紙をにぎわせ続けてきたミュージカルである。何度もオープンを延期したために、プレビュー中にマスコミの評がのるという異例の事態を招き、6月14日にやっと正式オープンとなった。



開幕数分後の感想。これだけ製作費をかけて、この出来は犯罪である。
プレビュー中に演出が酷評されたため、テイモアが降板となり、かなり手直しがされたが、幻想的でニューエイジなテイモアらしい場面と手直しされた場面がちぐはぐで、意図せずしてキッチュな舞台になっている。オフ・ブロードウェイでならまだしも、これだけ金かけてのブロードウェイ公演にしてはお粗末。初めからテイモアは演出に徹して、台本はスパイダーマンの世界をちゃんと理解している脚本家に任せるべきだった。この条件に当てはまる優秀なアメリカの脚本家なんていくらでもいたはずだ。手直しされた部分というのは、要は大金をかけたフライング付きの屋上ショーにすぎない。いつ、岡田眞澄ファンファン大佐が出てくるのかと思ってしまったほどだ。テイモア版は筋が分かりにくいという評だったため、「スパイダーマンになった!悪者を倒す!スーパーマンとしての自分に疑問が生まれる。それを克服する!」という5歳児でもわかるほどの単純さだ。それはそれで構わないし、あまりにも評判が悪いので期待値が低く、思ったよりは楽しめたが、全く純粋に楽しめるのは5歳以下の子供くらいだろう。が、余分に費せる数百ドルがあるならば、ファミリーエンターテイメントとしては悪くない。


音楽は、ミュージカル用としてもボノ&エッジの曲としてもパッとしない。場面説明でも物語を展開する推進力でもなく、おおざっぱな雰囲気を醸し出すだけだ。楽器の音が大きすぎて、バラード以外の曲の歌詞はほとんど聞こえない。ボノ&エッジの曲としてもあまりレベルが高くなく、スパイダーマンのテーマになっているギターのリフ以外は全く印象に残らない。ピーターと恋人のメリー・ジェーンがクラブで踊る場面では、iPodのCMで印象的だったU2の「Vertigo」が使われていたが、それすら売れ線を意識しただけの個性のないロックに聞こえたほどだ。



悪者のかぶり物とマスクは、うーん、写真を見ていただくしかない。とりあえず悪そうということは小さな子どもにもわかる。が、それだけだ。スパイダーマンというより屋上ショーのマイナーな悪者大集合みたい。スパイダーマン・ファンの夫にたずねたところ、グリーンゴブリン以外は、どの悪者なのか不明という答えが返ってきた。マーベルの版権がクリアできなかったのかどうかわからないが、もともと長年かけて作り上げたしっかりした世界に、わざわざ何か新しいものを足そうというのは危険なアプローチである。ピーターの高校や家などは、漫画を切り抜いたような書割の背景だが、原作の絵柄のようではなく一般的で個性のないアメリカ漫画風の絵柄だ。面白味のない典型的な中産階級の生活が舞台になっているとはいえ、つまらない。漫画だから平面的でいいという制作者側の姿勢を映し出しているようだ。もちろん、登場人物も平面的だ。特に、高校の場面に出てくる同級生のいじめっ子アンサンブルは、衣装からしH&Mでそろえたみたいに安手だし、恥ずかしくなるほどに平面的で、同級生その1その2と番号を付けるのにも困ってしまうほどだ。


映画版1作目の名場面だったベンおじさんの死は、スパイダーマンが自分のスーパーパワーとそれに伴う責任を意識するきっかけとなる重要な場面だが、テイモアのオリジナルキャラである、ギリシャ神話に着想を得たとかいう蜘蛛女が出てきて、なかなか有名なセリフ「With great power comes great responsibility」に到達しない。大切な場面なのに間延びしてしまい、原作をリスペクトしているのかどうか疑問だ。


フライング自体はそれが売りだけあって、舞台から1直線だけでなく、劇場中をぐるりと飛び回る。どでかいハーネスとロープを気にしなければ自由自在に見える。私の席は右手前方だったが、少なくとも3回は頭上をスパイダーマンが通り過ぎ、2階席のバルコニーにまで飛んで行ったりとサービス満点だった。もちろん、最後のグリーンゴブリンとの対決は空中で行われた。客席は大いに盛り上がったが、生身の体ができることには限りがあるので、空中でなければ屋上ショーを思わせるアクションだった。ちなみにスパイダーマンのスタントは9人。彼らが本当の主役である。お疲れ様。


このように、大人が心から楽しめる舞台とは言い難いが、不覚にも最後には涙が出そうになった。スーパーパワーには大いなる責任が伴うことを学び、愛する人を危険にさらしたくないゆえにアイデンティティを隠すが、最後に悪物を倒し、恋人にありのままの自分が理解されるという図式のカタルシスは、映画版同様に最後のフライングに集約される。確かに5歳児でもわかる単純さだ。が、同時に、冷戦時代のアメリカが生んだスーパーヒーローは、超大国という存在とそれに伴うポジティブな意味での自警団的役割という、当時のアメリカの理想や良心の象徴でもあり、現在40代くらいまでのアメリカ人たちは、スパイダーマンロールモデルとして育ってきている。今の私たちは、当時のアメリカの理想が単なる建前にすぎなかったことを知っているが、なじみの純粋さやポジティブさにふれ、しかもそれが今は失われていることに対して感動を覚えるのかもしれない。私はアメリカに来て16年になり、ポップカルチャーにどっぷりつかっているので、他の国の人々がどう感じるかはよく分からない。一緒に見に行った日本からの友人には、泣きそうになったと照れながら告白した。でも、この浪花節アメリカ人、特に地方の人には受けるだろう。右翼なフォックステレビの報道を信じているような地域ではノスタルジアですらないかもしれないし。この舞台の批評は一様に散々だったが、私が見たときの観客は大いに受けていて、当分ロングランしそうだ。


これらを考慮に入れると、少なくともアメリカ国内では地方公演が成功しそうな気がする。もちろん、ブロードウェイ並みのフライングは劇場を大幅に改修しなければならず予算的にも技術的にも無理なので、かなりの単純化が必要だろう。「ピーターパン」や「メアリーポピンズ」のミュージカルと同程度の一直線フライングにしたら単純化し過ぎで、売りがなくなってしまうだろうか?現在のブロードウェイ公演は、フライングに金がかかりすぎて、満員でも利益が出ない状態だ。利益が出る程度にフライングを単純化し、テイモア演出部分もカットしたらどうだろう?アメリカにおけるスパイダーマンはイギリスの物語である「ピーターパン」や「メアリーポピンズ」と違ってアメリカの心なので、実際にスパイダーマンが飛ぶだけで、現在ほどのレベルでなくても観客はかなり満足しそうな気もするのだが。ピーター・パーカー役は最後に一番簡単なフライングをするだけなので、スタントマンさえしっかりしていればすむから、キャスト面では大してコストがかからないはず。例えば日本公演だったらピーター役にジャニーズ系などのアイドルを起用するのもありかなと思うが、日本人にとってのスパイダーマンは、「ピーターパン」や「メアリーポピンズ」ほどの存在感がないだろうし、費用と内容のさじ加減が難しいところだ。