Once ダブリンの街角で


ある夜、シンガーソングライターがダブリンの街角で演奏していると、チェコ移民のヒロインに出会う。元彼女への失恋を歌う男と、子持ちだが夫と別居中の女はお互いにひかれるが、セックスよりも微妙な関係の、音楽上のパートナーとなっていく。ミュージカル映画だが作品の規模は小さく、より繊細な感情を描く。今年のサンダンス映画祭で観客賞を受賞、マンハッタンでは単館でロングラン上映中。

ロマンスはディテールの積み重ねが大事なのに、シンガーソングライターの歌うフォークポップ系の曲が甘すぎるということを差し置いても、細部がしっくりこなくて、作品自体に入っていけなかった。アメリカの郊外のロックバンドにしたら、あまりにナイーブすぎて嘘っぽいので、シンガーソングライター、アイルランドという設定が生きてくる、とも言えるが。

チェコ移民のヒロインは東欧なまりがあり、流暢だがややブロークンな英語をしゃべる。掃除の仕事をやっと手に入れたが、主人公のデモCDを聞いたとたんに、英語の歌詞が浮かんで歌いだす。英語のレベルと教育、高給の職を手に入れられるかどうかは一般的に比例し、ミュージシャンである自分自身が英語の作詞で苦労したことを考えても(日本人よりは英語習得に苦労しないだろうとはいえ)変だ。

ヒロインの家にCDプレイヤーも電話もないのは、貧乏移民とはいえ、アメリカでは考えられない。アイルランドだったらありなのか?アメリカでは低所得世帯にも商業主義が浸透していて(エコロジーグローバリズム反対意識があまりない層だから、大企業の一番のターゲットかもしれない)家に電話が引いてなくてもプリペイド携帯は持ち、安い給料の中から大手企業の商品を買おうと苦労している。

バンドメンバー募集も、新聞やウェブの掲示板ですらなく、主人公が道端で偶然見つけたミュージシャン。子持ちのヒロインが結婚していることに驚く主人公のナイーブさには、こっちがびっくりする。これらナイーブなディテールは、優しく静かでほろ苦い愛の物語にマッチしてはいるが、違和感が積もっていく。全ての映画はそれぞれの文化・社会的背景を背負った民族映画であるものの、リアリズムとおとぎ話のバランスが悪く感じられ、背景の違いが気になって作品に入り込めなかった。とはいえ、うまくアメリカナイズしてミュージカルにしたら、オフ・ブロードウェイあたりでヒットするかもしれない。